日本の8月はお盆の季節です。
日本のお盆の時季には、死者の魂が生前、縁のあった現世に帰って来るといわれていて、帰られた先祖や故人の霊を現世の私たちが迎えて供養するという風習があります。
そして日本の8月には、原爆投下日と終戦日という忘れてはならない歴史があります。
原爆は1945年(昭和20年)8月6日は広島に、9日は長崎に投下されました。
そして15日が終戦記念日になります。(6+9で覚えやすいですね)
お盆と終戦記念日が重なったのは全くの偶然ですが、日本における8月はご先祖さまや戦死した霊魂への弔いと、感謝の月でもあります。
そして生きている私たちもまた、先祖供養をすることで気持ちが癒されたり、リセットされたりするものです。
お盆の由来
お盆の期間は一般に、旧暦では8月13日~16日、新暦では7月13日~16日になります。
東京では新暦、地方では旧暦、また地域で行う期間もさまざまですが、その多くがご先祖さまを初日にお迎えして最終日にお見送りします。
お盆の元々の語源は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」。
サンスクリット語の「ウラバンナ」からきており、意味は「逆さ吊り」で亡者が地獄で苦しむ様を現しています。
お盆の由来となる、1つのお話があります。
お釈迦さまのお弟子の一人で、目連という天眼を開いた僧がおられました。
ある日、亡くなった自分の母親を天眼で見てみると、母は地獄の世界で苦しんでいました。母は生前、飢えに苦しみ助けを乞いにきた者を見殺しにしたことがあったのです。
母も自分の家族を守ることで精一杯だったのですが、その罪悪感から自らが同じ飢えの苦しみに落ちていたのでした。地獄の炎は水をすぐに蒸発させ、食べ物を燃やしてしまいます。
そんな、餓鬼道の地獄で苦しむ母を見た目連さんは、何とか母を助けたくて、お釈迦さまに相談しました。話を聞いたお釈迦さまは、
「母親にたくさんのお供え物をして僧侶を招き、母親の供養をしなさい」
と言われました。目連さんは夏の修行を終えてから、言われた通り供養を行いました。
そして再び母を見てみると、そこには極楽浄土に上っていく母の姿がありました。
目連さんの母を思う気持ちとご供養で、母の魂は救われたのでした。
人生のなかでいくつかの過ちや間違いは、人間誰にでもあることです。
我が子が一番大切で、家族を守るためならと、自分本位の考えを持つこともあるでしょう。
それぞれの時代背景のなか、私たちのご先祖は家を守り子孫を代々繋げてくれました。
ご先祖の魂を供養して差し上げることは、子孫の務めでもあるように思います。
お盆の準備
お盆の準備は、前日に行います。
お墓の掃除も可能であれば前日、または13日の午前中までに済ませます。
仏壇は掃除をした後、仏前にお供え物を供える為の盆棚を作り、その上に野菜や果物、故人の好物などのお供え物をします。
お供え物はお盆やお皿の代わりに蓮の葉の上に置くこともあります。
ご先祖さまは灯りを頼りに帰ってこられるので、お花やろうそく線香の他、対の提灯を盆棚の左右に揃えます。
お供えのなかには胡瓜で作る馬と、茄子で作る牛があります。
ご先祖さまや精霊の乗り物として、胡瓜の馬は早く家に着いてもらえるよう行きの乗り物に、茄子の牛はゆっくりと帰られるよう帰りの乗り物に、そんな思いが込められています。
ホオズキは中が空洞になっているので、精霊の休まれる場としてお供えされます。
その形と色から提灯にも見え、昔の農作物の不作時に彩りとしても重宝されました。
旧盆の頃は夏の疲れが出やすい時期。
私たちの健康管理も大切な準備のうちの1つです。
忙しい現代人ですから無理のない日程で、自分なりの御準備ができれば良いと思います。
お盆の過ごし方
お盆の風習は、13日の夕方に提灯をもってご先祖さまをお墓までお迎えに行き、家の前で迎え火を焚いて先祖を迎え入れます。
そして16日に同じく家の前で送り火を焚いて、お見送りをします。
いまは住宅事情や消防の関係上、火の代わりに玄関や窓際、仏前に盆提灯を飾るのが一般的です。
お盆期間中のお墓参りは、お迎えの13日とお見送りの16日にします。
14日、15日はご先祖と共に過ごしましょう。
先祖の存在を、いつもより身近に感じるときです。
お盆の「盆」とは「皿」の上に「分ける」とあります。
ご先祖さまと生きている私たちが、一つの盆の上の物を仲良く分ける。
お盆にはそんな意味も含まれます。
お盆に親族が集まり、先祖を交えて楽しく食事をする。
これ以上の先祖供養は無いように思います。
16日のお見送りは、灯りのついた提灯を送り火として、帰ってこられた家の玄関でご先祖さま精霊に一礼し、感謝の気持ちなどを心で伝えます。
お見送りしたら灯りを消します。
「灯篭流し」や「精霊流し」があるように灯篭や船、お盆のお供え物を一緒に川へ流すなど、送り火の一種とされている地域もあります。
お盆は「おもてなし」の心で
こうやって見ていくと、お盆の習わしは私たちが生きているなかで、大切な人を「おもてなし」する時と何ら変わりありません。
到着を灯りをつけてお待ちするのも、招く場所を綺麗に居心地よく整えることも、好物を用意することも「おもてなし」の心です。
ご先祖さまもかつてはこの世で生きていました。
習わしといっても難しく考えずに、日にちやお供え物など基本的なことをおさえていれば良いのです。
真心が一番です😊
働く人のなかには、
「夏のお盆休みは、1年の中でも貴重なお休み!」
という人は多いです。
普段行けない場所へ旅行する人。
家族サービスに徹する人。
里帰りする人。
貴重な休みはアッという間に過ぎてしまいます。
お盆にお墓参りに行けないという人もたくさんいます。
一時流行った歌に、
「お墓のなかに私はいません。眠ってなんかいません。」
という歌詞がありました。
魂は、お墓や仏壇の中に居るのではありません。
お墓や仏壇は物質界に生きている私たちが、分かりやすく霊魂と繋がれる言わば受信機、受信場所です。
霊魂は想念の世界にいます。
なので、心で語りかけるだけで想いは届き、繋がることは出来ます。
受信機に頼らない、一番の先祖供養は心からの感謝。
忙しい現代人ですが、お盆の期間は少しの時でもご先祖さまに心を馳せ、今の自分が在る幸せに感謝しましょう。