「あなたがこの世界で生きていくために一番必要なものは何ですか?」
と聞かれたらあなたは何と答えますか?
家族や友達、ペット、健康な体…空気とかはちょっとひねくれた答えですが…まぁ色々あると思います。
しかし殆どの人が真っ先に思いつくのは、あえてここに出さなかった「お金」ではないでしょうか。
「大事なものは何ですか?」と聞かれたら、きっと真っ先に家族やペット、友達の顔などが浮かぶと思います。
また時間もそうですがいくらお金があっても買えないものです。
ですがこの世界でそれらを守るためには、やっぱりお金は必要なのだと思うのです。
そしてそのお金を得るために私たちは働くのですが、人を助けるはずのお金が働き方しだいでは人を苦しめる、という矛盾を生み出してしまいます。
人生の幸せは働き方で決まるといっても過言ではないくらい人にとっての仕事選びは大事なものなのに、本当に好きな仕事で生きている人はどれくらい居るのでしょうか。
昨今、日本中色々な場で叫ばれている働き方改革ですが、仕事に対する概念は本当に大きく変わりました。
インフルエンサーとはWikipediaによると世間に与える影響力が大きい行動を行う人物とありますが、これまでその役割を担っていたのは芸能人やスポーツ選手、社会的地位の高い特別な人が主でした。
それが今では一般の人たちがインフルエンサーを職業として活躍しています。
YouTuber(ユーチューバー)やInstagramer(インスタグラマー)など、赤ん坊(の親)から老人まで全くの無名であってもアイデア一つでカリスマ的影響力者になれる可能性を秘めた職業といえます。
これまでの常識では考えられなかったことも共感と賛同さえ伴えば受け入れられていく、そんな時代なのかもしれません。
今回は寓話(ぐうわ)としても有名なイソップ童話「アリとキリギリス」の教訓を例えながら、本当の幸せな生き方とは何なのか。
そして3つあるラストのお話から、これからの時代にあった仕事選び、働き方を探ってみたいと思います。
(※寓話とは人にとっての教訓を馴染みの深い出来事や、動物、自然現象などを例え話として諭すことを意図した物語)
皮肉な教訓
暑い夏のある日のことです。
お得意のバイオリンを弾き歌って暮らすキリギリスは、毎日重い荷物を背負いながら行進しているアリたちの姿を見て尋ねました。「君たち、この暑いなか何をせっせと運んでいるの?」
すると一匹のアリが答えました。
「僕たちは冬に備えて食料を蓄えているんだよ。」
キリギリスは驚いて、
「今は夏なんだし食料なんて周りにたくさんあるのだから、今から冬のことを気にして働く君たちは愚かだよ。」
とアリたちの行動を笑いました。
そして月日は経ち、夏が終わり寒い冬が訪れました。
草木は枯れ果て、雪に覆われた地に生命の姿はありません。キリギリスは寒さと飢えで震えていました。
雪のなかをさまよい続け、やっと見付けた一軒の家。
窓を覗くと暖かい灯りのなか、たくさんのご馳走を囲む一家の姿が見えました。「すみません。私に食べ物を少し分けてもらえませんか。」
キリギリスが家を訪ねると、出てきたのはあの暑い夏の日に自分がバカにして笑った一匹の働きアリでした。
アリはキリギリスに気付くと、「食料は家族の分しかありません。あなたは夏の間歌って過ごしたのだから冬は踊って暮らせばいい。」
と扉を閉めてしまいました。
キリギリスはうなだれると、吹雪のなかへと消えていきました。
さてこのお話の教訓として考えられるのが
- 将来に起こる危機を想定して、備えておくことで安心が得られる。
- 汗水流して働くことは尊いこと。
- お金(物質)の量は、苦労や我慢の量に比例する。
一見間違っていないようにみえますが裏を返せば
- いつくるか分からない未来の最悪に、いつも怯えていなければならない不安感。
- 何もしないことへの背徳感。
- 楽してお金を得ることへの罪悪感。
きっと誰もがこういった感情を抱いたことがあるのではないでしょうか。
戦後、日本の義務教育はまさに「アリとキリギリス」の教えでした。
社会の権力者からすれば、自らが率先して動く労働者を作るのに最も適したバイブルです。
アリのように黙って組織に貢献する人が社会の恩恵を受け、組織は大きければ大きいほど将来は安泰だと信じられていたのです。
基準は個人ではなく、その他大勢のなかにある。
大勢と違うこと変わったことをする者は異端児であり罪なのです。
幼少期の頃からこういったアリの思想を教えられそれが常識になってしまうと、自分の本当にやりたいことが分からなくなってしまいます。
社会の常識からはみ出すことはキリギリスのように扉を閉められ、吹雪の荒野へと一人立ち向かうようなものですから委縮してしまうのは当然です。
さてイソップ童話ですが、古代メソポタミアから伝承されたとも言われ、紀元前6世紀、奴隷であったアイソーポス(イソップ)が寓話として語ったことで有名になり広く伝えられたようです。
この「アリとキリギリス」もその一つで元々は「アリとセミ」というお話でした。
セミのいないヨーロッパ北部に伝えられる過程で、セミがキリギリスに置き換えられ、それがそのまま日本に伝わりました。
キリギリスも夏の虫ですが秋のイメージが強く、夏はセミの大合唱が当たり前の日本では「アリとセミ」の方がピンときますね。
しかしこのお話が紀元前6世紀前古代から語り継がれているということに、私はとても驚きました。
イソップが奴隷という立場でありながらこういった思想を寓話として語ったことは、権力者にとって好都合だったのではないでしょうか。
時を経て、現代にまで語り継がれた「アリとキリギリス」。
古代も現代も形は違えど、権力者と奴隷という社会の構図は変わらないのでしょうか。
このお話では、遊んでばかりいたキリギリスの悲劇はあくまでも自業自得で、アリの冷酷さに触れることはありません。
ではなぜアリは、こんなにも冷酷なことが出来たのでしょう。
アリは提供した労働量が対価に値すると信じていたので、自分の大切な時間と体力を削りながらも、毎日の仕事を続けるしかなかったのです。
そうしなければ、これから訪れるであろう厳しい冬に、不安で夜も眠れなくなってしまうからです。
アリは社会の掟ともいえる作られた思考、物資が無いという恐怖に自らが奴隷になっているのです。
アリは労働に見合った対価は受け取れますが、いつも心は満たされず自己犠牲からは執着心を生み出しました。
好きなことをして生きていたキリギリスに、自業自得という報復をすることで自分の生き方を正当化したのです。
「アリとキリギリス」にはこのような皮肉めいた教訓が隠されているように思います。
神アリ
さて2つめのラストは、キリギリスを見捨てるアリの残酷さからか改変されたお話です。
キリギリスが一家を訪ねると、出てきたのはあの暑い夏の日に自分がバカにして笑った一匹の働きアリでした。
アリはキリギリスに気付くと、「だから備えておくように言っただろ?」
と可哀想なキリギリスを家に招き入れました。
助けてもらったキリギリスは涙を流して改心し、お礼にバイオリンを弾きました。
現在日本ではこちらが主流のようですが、キリギリスを赦し助けるアリは慈愛と器の大きさを兼ね備えた神さまのようなアリです。
この改変版「アリとキリギリス」ではただ立派なアリという理想像ではなく、なぜアリが自分をバカにした相手を許し優しい心になれたのかを考えてみます。
一つにこのアリには、自分が働いて得た物に対して過剰な執着心がありません。
それはつまり、働くことで自分の何かを犠牲にするということがなかったのです。
アリにとって食べ物を運ぶという仕事は、得意分野です。
アリは自分の得意が他者に役立つことを対価にしていたので、仕事が楽しいのです。
働くことが楽しめたら、人生の殆どが楽しみで埋まってしまいます。
アリの心は満たされているので、いくらキリギリスにバカにされても気にも留めなかったのだと思うのです。
キリギリスの潔さ
「アリとキリギリス」3つ目のラストです。
キリギリスが一家を訪ねると、出てきたのはあの暑い夏の日に自分がバカにして笑った一匹の働きアリでした。
アリはキリギリスに気付くと、「あなたは夏の間歌って過ごしたのだから、冬は踊って暮らせばいい。」
と言いました。
それに対しキリギリスは、「私はもう歌うべき歌は全て歌いました。あなたは私の亡骸を食べて生き延びればいい。」
と言いました。
私は個人的にこのラストが、お話として一番好きです。
スピリチュアルでは、
「魂はこの物質世界という制限のなか、人生をかけ如何にして自分の想いを創造するか」
という大きな目的をもって生まれてくるといわれています。
それが例え一日の人生であろうと、百年の人生であろうと魂は明確な意図をもって生まれてくるというのです。
このキリギリスの潔さは、そんな私たち魂の本質を表しているような気がします。
さてアリはというとキリギリスの亡骸を得て無事に冬を越しますが、また次の冬のために来る日も来る日も身を粉にして働くのです。
冬が来る前に死んでしまうかもしれないのに、何か空しさを感じてしまいます。
ではどうすれば両者ともにハッピーになれるのかを考えてみます。
例えばキリギリスの心持ちを一つ変えるだけで、こんなストーリー展開が生まれます。
変えるのは、毎日バイオリンを弾いて歌って過ごしていたことではありません。
一生懸命働くアリをバカにしていた、キリギリスの心です。
キリギリスが働くアリに敬意を払い1曲でもアリのために歌っていたら、その歌はアリにとって雑音ではなく応援ソングにもなるのです。
応援歌は働くアリの娯楽にも活力にもなるかもしれません。
アリたちは楽しみをくれたキリギリスに感謝して、食べ物を運んでくれます。
それが対価です。
食べ物を運んできてくれるアリのためにキリギリスは、もっともっと良い音楽を作ります。
その日から得意なバイオリンはキリギリスの仕事となり、アリは大切なお客となりました。
また働くアリにとっても活力をくれるキリギリスは、大切な存在なのです。
お互いが価値を提供することで二つの世界が繋がり循環したのです。
アリをバカにしてただ歌っていたキリギリス。
アリのために得意な音楽を仕事にしたキリギリス。
どちらも夏の間歌っていましたが、結果は雲泥の差です。
成功者たちの多くが、口を揃えて言います。
「対価は自分の体力や時間ではなく、自分の得意な事、好きな事、出来る事で他者の身体的、精神的欲求を満たすことで生まれる。」
いま仕事をしている人に、これからする人に問います。
あなたはその仕事が好きですか?
それはあなたのしたいことですか?
そして出来ることですか?
この内の1つでも当てはまるなら、それはあなたの得意になる可能性大です。
ぜひ自分の得意を活かしてみてください。
あなたの笑顔で救われる人が必ずいますから。