空(くう)から天之御中主(アメノミナカヌシ)と共に高天原<(タカマハラ)天.宇宙>が誕生しました。
そして高御産巣日(タカミムスビ)神産巣日(カミムスビ)、その後の神さまたちによって宇宙.自然.生命の摂理が整います。
やがて陰陽の法則が整うと、男女性をもつ私たち人間の原型ともいわれる二柱<(ふたはしら)神様は‟人”ではなく‟柱”で数える>の神さまが現れました。
(詳しくは古事記➀をお読みください)
伊邪那岐神(イザナギのカミ)と伊邪那美神(イザナミのカミ)
この二神から、日本の国土と様々な象徴を司る神さまたちが生まれます。
国生み
神世七代最後に現れた、イザナギとイザナミに高天原の神々は、
「この漂える国を固め整え、完成させなさい。」
と、天の沼矛(ぬぼこ)を授けました。
二神は天の浮橋(うきはし)に立つと、授かった矛(ほこ)で混沌とした海を「コオロ、コオロ」と音を立て搔き回しました。
すると引き上げた矛の先からは潮が滴り落ちて、積もった潮は一つの島となりました。
この島を淤能碁呂(オノゴロまたはオノコロ)島といいます。
二柱はこの島に降り立つと、大きな天の御柱(みはしら)を中心に立派な神殿を建てました。
イザナギはイザナミに問います。
「あなたの身体はどのようにできていますか?」
イザナミは、
「私の身体は立派に出来ているのですが、一ヵ所成長していないところがあります。」
「あなたの身体はどのようにできているのですか?」
それに対しイザナギは、
「私の身体も立派に出来ているのですが、一ヵ所成長し過ぎたところがあります。」
「そかでこの私の成長し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺し塞ぎ国土を生みたいと思うのですが、どうですか?」
と聞きました。
「それは良い考えです。」
とイザナミは賛成しました。
そこで天の御柱を中心にイザナギは左回りに、イザナミは右回りに出会ったところで、
「あなにやし、えをとこよ(ああ、なんて素敵ないい男なのでしょう)」
とイザナミはイザナギを褒めました。
次にイザナギも
「あなにやし、えをとめよ(ああ、なんて素敵ないい女なのでしょう)」
とイザナミを褒め、二神は結ばれました。
ここに人の性交する意味、原型が現れました。
性の話になると何となく欲のイメージが強くなりがちですが、本来は生命を生み出そうとする神聖で純粋な愛の行為なのです。
その後、二神に子供ができましたが、初めての子供は水蛭子(ヒルコ)でした。
蛭(ひる)のように骨がなく手足が発達しない不具の子であったため、葦(あし)で作った舟に乗せ海に流されました。
そして次の子も淡島(アハシマ)といって、泡のように形ができませんでした。
これら形にならなかった子供は、二神の子供として数えられないと古事記にはあります。
不具の子を海に流してしまわれる描写は(神様なのに何と残酷な!)と思ってしまいますが、これは比喩であって「蛭子」は死産を、「淡島」は流産を現しているのではないかといわれています。
そしてこの蛭子(ヒルコ)神はその後の人々の信仰によって、皆が知る金運の神さま、出世神となるのです。
なぜちゃんと子供が生まれないのか、二神は別天津神(ことあまつかみ)に相談するため高天原に昇りました。
そこで別天津神が天の占いで聞いてみると、
「結婚の儀の際、先に女のイザナミが声をかけ結ばれたことがよくない。男のイザナギから声をかけるよう改めなさい。」
と告げられました。
二神は再び天の御柱で結婚の儀を行い、今度は先にイザナギがイザナミを褒め、次にイザナミがイザナギを褒め二神は結ばれました。
そして日本の国土最初に生まれたのが、淡路島の淡道之穂之狭別島(アワヂノホノサワケのシマ)です。
次に生まれたのが、1つの胴に4つの顔をもつ、四国の伊予之二名島(イヨノフタナのシマ)です。
4つの顔にはそれぞれ、伊予国の愛比売(エヒメ)
讃岐国の飯依比古(イイヨリヒコ)
阿波国の大冝都比売(オオゲツヒメ)
土佐国の建依別(タケヨリワケ)と、名前がついています。
次に、隠岐の三つ子の島、隠岐島の天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)が生まれました。
続いてこちらも1つの胴に4つの顔をもつ、九州の筑紫島(ツクシのシマ)が生まれます。
それぞれの名前は、筑紫国の白日別(シラヒワケ)
豊国の豊日別(トヨヒワケ)
肥国の建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊曽国の建日別(タケヒワケ)
その後、壱峻島の天比登都柱(アメヒトツバシラ)
対馬の天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)
そして佐渡島(サドのシマ)が順に生まれます。
最後に本州の倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキツシマ)またの名を、天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキツネワケ)が生まれました。
これら古事記における日本国土8つの島は、大八島国(おおやしまぐに)と称されました。
その後、児島半島.吉備児島(きびのこじま)の建日方別(タケヒカタワケ)
小豆島の大野手比売(オオノデヒメ)
周防大島.屋代島(やしろじま)の大多麻流別(オオタマルワケ)
姫島.女島(ひめじま)の天一根(アマヒトツネ)
五島列島.知訶島(ちかのしま)の天之忍男(アメノオシヲ)
男女群島.両児島(ふたごのしま)の天両屋(アメフタヤ)の島々が、順に生まれました。
名前から性別が分かるものもあります。
淡路島は男神っぽいですし、小豆島はヒメなので女神です。
全ての顔が男神の九州に、四国は男神女神とそれぞれの顔をもっています。
これら神さまの性別と土地の特徴や特色には何か関係があるのかもしれません。
国土一つ一つが神さまの日本は、まさに神さまが寄り集まって出来ている国といえます。
淤能碁呂(おのごろ・おのころ)島
二神が最初に降り立ったオノゴロ島の場所について、正確な記述がないため日本のどこを指すのか、これにも諸説ありはっきりとはしていません。
兵庫県の淡路島では、日本三大鳥居に数えられる大鳥居(高さ21.7m)が目立つ自凝(オノコロ)島神社があり、島をあげて淡路オノコロ島説を主張しています。
淡路島から南西に位置する沼島(ぬしま)にもオノコロ神社が存在しますが、こちらの神社には特に目立つ鳥居も飾りもなく、雑木林のなか質素な社殿がひっそりと佇む小さな神社です。
沼島の地形は空から見ると勾玉の形をしていて、この島の東海岸にある上立神岩(かみたてがみいわ)は海面から30mにもそびえ立つ大きな岩で、神話のなかでイザナギとイザナミが結婚の儀を行ったとされる天の御柱といわれています。
↑勾玉の形をした沼島
↑上立神岩は真ん中に自然に出来たハート型の窪みがあり、とても神秘的な岩です。
二神が潮を搔き混ぜた天の沼矛と同じ字をもつ沼島のオノコロ島説にも、否定できない信憑性があります。
また淡路島北端にある岩屋には絵島という島があり、岩場の断層は茶.黄.オレンジ.赤がマーブルに描かれたように美しく、その自然が作り出す光景に訪れた人は神秘を感じずにはいられないようです。
現在は、危険防止のために立ち入ることが禁止されていますが、その美しさと神秘的な島は淡路島の景勝地でパワースポットでもあり、オノコロ島説が伝えられている島の一つです。
↑外観も美しい絵島
淡路島から30㎞西に位置する家島にもオノコロ島説が、根強く残っています。
日向から大和へ攻め上るとき、この島に立ち寄ったとされる神武天皇が
「まるで家にいるように静かだ」
と言われたことが家島の始まりで、ここに天津神(あまつかみ)を祀り武運を祈ったようです。
このように諸説あるオノコロ島説ですが、古事記には最初の子は淡路島となっていることから淡路島をオノコロ島とするには矛盾が生じます。
やはりその周辺にある島というのが、自然な考え方になるのではないでしょうか。
またオノコロ島にはもう一つ、淤能碁呂島(おのごろじま)→自凝島(おのころじま)→自転島(おのころじま)という地球説があります。
二神がまだ混沌としていた宇宙をコオロコオロと天の沼矛で搔き回すと、その回転のなか滴る潮が丸く塊り、自ずと転がる地球が誕生したという説です。
これまで造化三神(ぞうかさんしん)別天津神(ことあまつかみ)で宇宙の仕組みや天界の成り立ちを、神代七世(かみのよななよ)では自然の摂理と、陰陽の法則から男女の性にまで触れてきた古事記。(古事記➀)
そんななか地球についての描写が全くないことが疑問で、私はこのオノコロ島地球説がとても自然に思えました。
ともあれ正解のないオノコロ島ですが、このように古事記には未知なる問題を解くような、時空を超えた世界を推理するような、そんな面白さが随所に盛り込まれた魅力ある書物でもあるのです。
神生み
国を生み続けた二神は、次に様々な象徴を司る神さまを生み出しました。
最初に生まれたのは大事忍男神(オオコトオシオのカミ)。
大事を終えた男神とされています。
次に生まれたのは住居の神さまです。
土台石と土の神さまの石土毘古神(イワツチビコの神)
その対となる岩砂の神さまの石巣比売神(イワスヒメのカミ)
次に、家の出入り口の神さまの大戸日別神(オオトヒワケのカミ)
次に、屋根を葺(ふ)く神さまの天之吹男神(アメノフキオのカミ)
次に、葺き終わった屋根の神さまの大屋毘古神(オオヤビコのカミ)
次に、暴風雨から家を守る神さまの風木津別之忍男神(カギモツワケノオオシオのカミ)
この六柱の神さまを称して、家宅六神(かたくろくしん)といいます。
最初に住居の神さまが生まれることから、古代の人々にとっての住宅がどれだけ大切だったのかがよく分かります。
続いて生まれたのは、海の神さまの大綿津見神(オオワタツミのカミ)
次に、河口、港の神さまの速秋津日子神(ハヤアキツヒコのカミ)と速秋津比売神(ハヤアキツヒメのカミ)
次に、風の神さまの志那都比古神(シナツヒコのカミ)
次に、木の神さまの久久能智神(ククノチのカミ)
次に、山の神さまの大山津見神(オオヤマツミのカミ)
次に、野の神さまの鹿屋野比売(カヤノヒメのカミ)
次に、神さまが天地を行き来するためにつかう乗り物を神格化した交通安全の神さまの鳥之石楠舟神(トリノイワクスフネのカミ)は別名を天鳥舟(アメノトリフネ)
次に、穀物の神さまの大冝都比売神(オオゲツヒメのカミ)が生まれました。
火之迦具土神(ヒノカグツチのカミ)と伊邪那美神の死
イザナギ.イザナミの二神から生まれた最後の神さまは、火の神さまの火之迦具土神(ヒノカグツチのカミ)です。
しかしこの神さまをお生みになったとき、イザナミはその火で陰部を焼かれ大火傷を負い、病気になってしまいます。
苦しむイザナミの嘔吐物からは、鉱山の神さまの金山毘古神(カナヤマビコのカミ)と金山比売神(カナヤマビメのカミ)が生まれます。
さらに大便からは、粘土の神さまの波邇夜須毘古神(ハニヤスビコのカミ)と波邇夜須比売神(ハニヤスビメのカミ)
尿からは、灌漑<(かんがい)人工的に水路を作り、農地に水を供給すること>の神さまの弥都波能売神(ミツハノメのカミ)と、
生産の神さまの和久産巣日神(ワクムスビのカミ)が生まれました。
その後イザナミは死んでしまい、黄泉の国へと旅立ちます。
イザナギは嘆き悲しみ、その涙からは泉の神さまの泣沢女神(ナキサワのメガミ)が生まれました。
イザナギはイザナミのお墓を出雲の比婆山に造ります。
そしてイザナミを失った絶望と怒りから、天之尾波張(アメノオハバリ)という名の十拳剣(とつかのつるぎ)で我が子であるヒノカグツチの首を切り、殺してしまわれるのでした。
アメノオハバリについたヒノカグツチの飛び散った血が岩石に落ち、様々な神さまが生まれました。
剣の先端から落ちた血で三柱の神さま。
刀身の根本から落ちた血で三柱の神さま。
柄から落ちた血で二柱の神さま。
なかでも刀身からは、剣の神さまで後の国譲りで大活躍される武神、建御雷神(タケミカヅチのカミ)が生まれました。
そしてヒノカグツチの死体からは
頭から、山の坂の神さまの正鹿山津見神(マサカヤマツミのカミ)
胸から、淤榺山津見神(オドヤマツミのカミ)
腹から、奥山津見神(オクヤマツミのカミ)
性器から、山の谷間の神さまの闇山津見神(クラヤマツミのカミ)
左手から、志藝山津見神(シギヤマツミのカミ)
右手から、羽山津見神(ハヤマツミのカミ)
左足から、山の原の神さまの原山津見神(ハラヤマツミのカミ)
右足から、山の入り口の神さまの戸山津見神(トヤマツミのカミ)
これら八柱の山を司る神々が生まれました。
生まれただけで母であるイザナミに火傷を負わせ死なせてしまい、自身は父であるイザナギの手によって殺されてしまう。
何とも可哀そうな火の神さまヒノカグツチですが、ヒノカグツチの死体から山の神々が生まれていることから、古代日本では火山の噴火が頻繁にあったのかもしれません。
古代の人にとっても火は、生活に欠かせないものであると同時に、一歩間違えれば大惨事になってしまう。
そんな火の恐さを、イザナミの死という形で表しているのでしょう。
そしてイザナギの怒りは、大切な人の命を奪う自然の猛威に為す術のない人間の絶望の怒りです。
また火山の噴火と人の怒りの感情を同じ象徴として、みているのかもしれません。
ヒノカグツチを殺すことで生き物のなか唯一、人間だけが火を扱い制することの出来る存在だということを、表しているように思えます。
さて、イザナミを失ったイザナギはヒノカグツチを殺しましたが、それでも悲しみは癒えません。
そしてとうとうイザナギは、イザナミを取り戻そうと黄泉の国までイザナミを迎えにいくのでした。
こうしてみると(イザナギの神さまって猪突猛進的で行動力が半端ないなー。)と思ってしまうのですが、人間界においてもこういった行動力の持ち主には成功者が多いようです。
しかしイザナギの「イザナミ取り戻し計画」は、成功するのでしょうか。
念願のイザナミとの再会はどうなるのでしょうか。
続きはイザナギとイザナミ*黄泉の国編へどうぞ